爪痕@   2011/4/11() 0:2

 

 沢山の人が亡くなりました。沢山の家が流され燃え崩壊しました。そして日本社会が抱えていた色々な矛盾が露呈してきました。
 南三陸町では役場からも法務局からも戸籍が完全に消失したという報道にはびっくりしました---このデジタル化、オンライン化の時代にして・・。もっとも、二週間くらいしてから副本が見つかったようですが。
 海外からの労働者が帰国してしまったことによる国内産業の労働者不足の深刻化---拙蛙が思っていた以上のもののようです。
 言うまでもなく一番深刻なのは、原発問題です。今まであまり知らなかった(あるいは知らされていなかった)情報を手に入れた為に、その背後に見え隠れするようになった利権の構造---日本の政治はここまで腐りきっていたのかと思わざるを得ません。

 

爪痕A   2011/4/11() 0:35

 

沢山の人が亡くなってしまいました。命というか生きていることというか、そんなことを考えさせられてしまいます。生きていることということ自体の形は刻一刻と万華鏡の影形のように変えられて行くので掴み所がありません。死ぬことによって初めて形を固定化することができます。固定化されてしまえば動かしようがないので、生きていた時々をデジタル化でもするようにして、生きている者たちが勝手に好きな影形を取りだして、評価したりするのでしょうが、それでも、その亡くなった人の真の「人となり」などは誰にも解らないもののような気がします。(今、思いついたことは、あまりに今の時期(情況)には適さない例だと思うのでここでは省略しますが、僕の高校時代の担任がよく冗談で言っていました。「人間は死ぬまで解らないものだぞ。そのうち俺のことが新聞に載るだろう。『教え子と心中』という見出しでな」と。

 

爪痕B    2011/4/12() 4:29

 

亡くなられた沢山の人たちの中には、警察官、自衛官、消防士等多くの殉職された方々がいらっしゃいます。頭が下がるというか、なんとも切ない気持ちになります。そして、自然災害の恐ろしさというものを思い知らされたような気がします。けれども今回の災害のうちの原発事故だけは本当は天災ではなかったのではないのかという疑念が頭をもたげるとき、悲しみと同時に怒りに似たものが湧き上がってくるのを感じるのは拙蛙だけでしょうか。もし原発が利権や名誉欲に目の眩んだ政治家、企業、官僚や御用学者等によって推進され実行されたプロジェクトであったとして、仮に何らかの理由によりそのこと自体は許されるものであったとしても、リスク管理及び危機管理を怠ったことは絶対に許されない重大な不作為的過失であったとしか言いようがありません。もし、過失が無かったとしたら、それこそ原発そのものに絶対的危険性が内在していると言わざるを得ない。即刻、原発停止のデモが起きたとしても少しも不思議ではありません。

 

爪痕C   2011/4/15() 2:24

 

この度の震災で露わになったのは、原発の安全神話の嘘と菅内閣の無能だけではないような気がしています。石原慎太郎の天罰発言を騒ぎ立てるのが関の山のマスコミの質の悪さには辟易してしまいます。この情報過多の時代に一般大衆がその選別をいかにしていくかの指針を示すのも、マスコミの役割の一つではないのかと思います。地震や原発について様々な情報が錯綜しています。多様な見地から情報は発信されるのだから錯綜するのは当たり前のことですが、対立する複数の情報が流れた場合、一般大衆は、その真意を選別する為の指針が欲しいのです。しかし。既存のマスコミ(特にテレビや新聞)は、それを充分になしえていないと思います。相対立する主張者(発信者)を一つのテーブルにつかせて徹底的に討論する必要があるのではないかと思います。それを阻害している理由の一説にはマスコミ界も利権と無関係ではないとの噂もあります。政治改革は政治家によってしか行われないから所詮無理な話。行政改革とかにすり替えてしまうのが関の山。しかし、マスコミの改革はメディアの多様化によって早晩改革されるのではないかと拙蛙などは井中で密かに期待しておるところです。

 

爪痕D   2011/4/19() 19:51

 

http://www.youtube.com/watch?v=EcDXRCyyrPI&feature=related

上記はこの度の原発事故が起きる約1年前に投稿された動画ですが、2つの興味をそそわれます。一つは、マスメディア、特に公共放送であるNHKに対する批判であること。もう一つは、この動画のゲストとされる人物が原発推進を一貫して唱え推し進めてきた人であることです。(ついでに、23年前の動画を最下部に示しておきますのでご参照ください。)

ゲストは、NHKがいかに意図的に事実をひん曲げて(科学的事実を捏造して)放送したかに対して抗議しているのだと思われますが、蛙や一般の人達には、NHKの放送もゲストの言い分もどちらも嘘臭く思えてしまうのです。しかし真偽を質すことができません。何故なら、NHKの放送も冒頭に示した動画もどちらも一方的な報道でしかないからです。

下記に示した民放番組のように、立場を異にする人達の論争の生番組がもっと沢山あれば良いと思うのですが、その番組自体がある種の目論見(司会者等によって視聴者をある一定の方向に導こうとする等)を持って制作される場合も多いので我々には要注意でもあります。

政府、マスコミ、いたる所がデタラメだらけの今日、やはり蛙は蛙の知恵をもってしか生きようがないのかしらと思い始めております。

(ご参照

http://www.youtube.com/watch?v=h_wGAmGzmIM

 

 

 

   以上は4月に「詩心ごんどら」の何でも掲示板に書いたものだが、直接、詩にかかわるものではないので削除したものです。しかし、おそらく将来、貴重な記録となると思うので、一応ここに書きしるしておこうと思う。

 

 

 

20110722

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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