忌野清志郎

 

 

 

俺の親友の誕生日を、清志郎は自分の命日にしやがった。だが、怒ってはいけない。寧ろ光栄だと思うべきだ。そうだ、光栄、「光栄館」だった。清志郎の歌を初めて聞いたのは、そういう名の下宿、広い広い4畳半でのことだった。俺の部屋があんまり広いものだから、友人が二階からラジオ体操をするために下りてきていた時のことだった。「僕の好きな先生」という曲だった。段ボール一つと古いラジオがあるだけの下宿部屋でみんなで笑って聞いた。その時は誰が歌っているのか名前さえ知らなかった。
その後、何十年経っていただろうか、彼の歌を聞いたのはネットの動画でだった。you tubeはまだメジャーではなかった。2chだったと思う。その時に初めて彼の名前を知った。動画は一連の放送禁止歌についての特集みたいなやつだった。
”♪〜おまこ野郎〜FM東京〜♪”の歌詞には畏れ入ったが、それをテレビの生放送でやるのだから笑ってしまう。しかし、今、笑い者になっているのは、清志郎ではなく、あの時代にいきすぎた言論統制をして表現の自由を不当に奪っていた当局の輩だ。清志郎の曲は所謂ロックとは趣が違う。明らかにメルヘンチックなのだ。それは、恐らく清志郎の素直すぎるくらい素直な感性からくるものだと思われる。清志郎は正直すぎるくらい正直に自分の感性を躊躇うことなく表現してきた。それには、今更ながら驚嘆する。
「あこがれの北朝鮮」は、拉致事件が発覚する前の作品。勿論、「メルトダウン」や「原発音頭」は、大震災及び原発事故以前の作品だ。震災時には彼はあの世とやらで歌っていたに違いない。「総理大臣 何もはっきり言わねぇ」などは、もっと昔の作品である。それ以外にも、世の中を風刺した曲も多いが、彼は決して安っぽい社会派などの歌手ではない。勿論、予言者などでもない。彼は、みんなにも見えているはずなのに、敢えて見えていないと思いこもうとしている、そんな大衆に対し、疑問を投げかけてきたのだろうと思う。その姿は、まるで裸の王様を見て大声で笑っている少年のようだ。彼はただ素直なだけなのだ。だから、彼の心にはいつもメルヘンが宿っていたのだ。それにしても、見えるものをそのまま直視することの難しさを、この歳になって思い知らされたような気がする。

 

 

20110825

 

 

 

 

 

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