山陰の「思い」

 

 

 

昔僕が勤めていたところの上司が、山陰の人間とこっち(山陽)の人間は、言葉が違うだけではなくて、まるで人種が違うみたいだ---そう言ったことがあったが、なるほどと思った。確かに山陰の方がウェットだ。雨がよく降るせいだけではないだろう。何故か山陰には怪談めいた話が多い。最近では境港市出身の「水木しげる」が有名だが、小泉八雲が近郷の話を聞いて作品にした怪談は短期間に創り上げたものだ。それほどそんな類の話が豊富であったのだろう。僕が子供の頃でさえ、祖母等から不思議な怖い話をよく聞かされたものだ。

あの怖さ不思議さは一体何なんだろう。思うに「思い」なのだと思う。どうすることもできない思い。割り切れないで、何時までも残ってしまう思い。そんな思いが昇華され結晶化されたもののような気がする。あの滑稽きわまりない所作を伴って演じられる出雲のどじょう掬い。安来節は歌詞も大抵平明である。しかし、あの唄い方は尋常ではない(声楽の権威どころか民謡の専門家さえ、あの歌い方には批判的であるが)。胸の思いを掴みあげて絞り出すようにして喉から吐露されるものは言葉を超えた悲鳴のようにさえ聞こえてくるのだ。踊りや歌詞は一種の隠れ蓑ではないのかとさえ思えしまう。美保関には「関の五本松」という有名な民謡がある。元々5本あった松が、大名行列の邪魔になるということで、一本が切られてしまった。民衆のいたたまれない気持ちが、”後は切られぬ夫婦松”という歌詞を作りだしたということになっているらしい。一般には、入港の目印としていた五本の松のうちの一本が切られたことに対する抗議のように解釈されているが、本当は密航に対する監視の妨げになっていた松を一本切って、見張りをしやすくしたというのが真相らしい。密航することによって漸く日々の暮らしを成り立たせていた漁師たちの怒りは如何ほどのものであったのか。

幕末には玄丹かよの話がある。西園寺公望一行が松江藩問責のため進駐した際、白刃に貫いたかまぼこを平然と紅唇に受けたとかの話は有名だが、松江藩士錦織玄丹の娘=かよが、一行の無理難題と乱暴狼藉を,侠気と機転により懐柔した話である。荒武者を酒席で操縦し、一行の態度を和らげた出雲女の真骨頂をそこに読みとることができる。見かけと芯は裏腹なのだ。太古、黄砂と一緒に大陸から飛ばされてきて、山陰という地の吹きだまりで辛うじて命を繋いできた人たち、それが山陰に住む種族だったのかもしれない、などと自分の先祖のことを思ってみたりするのだが、しかし、大叔父(父方の祖母の弟)に、自分達は西園寺公に従って京都からやってきて、こちら(松江)に住みついた者の子孫だと聞いたことがある。因みに、錦織玄丹の錦織という姓は、元々出雲地方の姓であり、4通りの読み方がある。「にしこり」「にしごおり」「にしこおり」「にしきおり」である。詳しいことは知らないが、プロテニス界で活躍している錦織圭、音楽会の錦織健も恐らく出雲近辺の出自と思われる。

 

 

 

20110811

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

想(目次)